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オーダーカーテンの実績

銀行システム全体が脆弱な時は、絶対にミクロの正義だけで政策を進めてはいけないのである。
日本のテレビに登場するような経済評論家はT氏を含め、異常なほどミクロの正義にこだわるところがある。 これはペイオフ解禁や不良債権処理における経営責任の追及などに最も端的に表れているが、通常の世界ならともかく、現状のように「合成の誤謬」があらゆるところで発生している経済では、ミクロの正義をふりかざすことは大変危険なのである。
そもそも経済学にマクロとミクロがあるのは、ミクロを積み上げただけでは経済全体の動向が説明できないからである。 そして、その最も端的な例が、ミクロの合成の誤謬から発生するマクロのバランスシート不況である。
ましてや金融にシステムリスクが発生している現状では、ミクロの正義は後回しにしてでも全体の安定確保を優先する必要があるのである。 金融のシステムリスクとは、端的に言えば、資産の売り手はたくさんいるが、買い手がほとんどいない世界のことである。
このような世界は、市場規模に対して売りたい資産をたくさん持っている人の立場と似ている。 もしも相場が暴落せずに売却できる量が、その人の保有額の一○%でしかなかったら、それ以上の早急な売却は考えものである。

その現実を無視して、例えば保有額の二○%を一気に売ろうとしたら、資産価格は大幅に下がるだろう。 そうなると自分がまだ保有している八○%の価値まで激減してしまうことになる。
今の日本の銀行や金融当局が置かれているのは、まさにこのような状況である。 今のように国内ではほとんど買い手がいない状態で不良債権の処理・清算を進めれば、資産価格はさらに下がり、そのことは銀行が依然として保有している要注意債権、つまり「問題債権」一五○兆円分の価値を大幅に下げてしまいかねない。
例えば、不良債権を一○兆円早急に処理したら、それにともなう景気の悪化と資産価格の下落で、当初問題債権とされていた一五○兆円のなかの三○兆円が新たに不良債権化してしまうという危険性は、今の日本には充分過ぎるほどあるのである。 前述の目抜き通りの例などがまさにこの典型である。
不良債権は、当初、売却して処理しようとした不良債権より、はるかに大きくなりかねないのである。 最近の不良債権の議論を聞いていると、世論には一つの大きな誤解が発生しているように思う。
このような金融の現実を無視して、財政による景気の下支えを削減し、不良債権処理を急ごうとするT氏の政策は、ハイリスク・ローリターンの政策としか言いようがない。 財政再建と不良債権処理は両方とも、バランスシート不況時に時機を間違えると結果は逆になる。
一九九七年当時、H総理は財政再建の時機を間違えてやったために、かえって財政赤字を増やすことになってしまった。 不良債権もまったく同じである。

時機を間違えてやったら、不良債権は何倍にも増えてしまうのである。 一部には、不良債権は今でも増え続けているではないかという指摘があるが、それは前にも指摘した通り景気が悪いからである。
もしも不良債権があるから景気が悪いのであれば、日本の金利は急騰していなければならないが、実際はその逆になっていることを見ても、景気が悪いから不良債権が発生していると見るべきなのである。 その景気をさらに悪化させかねない政策は、それこそ不良債権を雪だるま式に拡大してしまう危険性があるのである。
これ以上増えたら、おそらく日本の金融はおしまいだろう。 ここはひとつ、ゆっくりやるべきなのである。
なぜこれが誤解かというと、九八年に上述の六○兆円の予算が国会を通った時、国民の最大の懸念は銀行の貸し渋りにあり、不良債権処理にはなかったからである。 この予算の最優先課題は貸し渋りを止めることであって、それ以前からあった不良債権処理を進めることではなかった。
当時言われていたことは、銀行の自己資本比率は八%だから一○兆円の資本投入をすればテコの原理が働いて、その一二・五倍、つまり一二五兆円の貸し渋りを回避できるというものであり、事実、その時点で貸し渋りを解消しないことには、日本経済全体が崩壊してしまう危機にあった。 思い出して見ると、一九九七年二月以前も銀行の不良債権問題は何度もマスコミで話題になっていたが、その処理に公的資金を使うということはずっとタブー視されていたくらい、国民の間で不人気であった。
なぜ不人気であったかと言うと、当時は現在と同様、銀行の不良債権問題が景気の制約要因というのは、九八年一○月に国会が六○兆円もの金融システム再生の予算をつけ、翌年には一○兆円も資本投入してきたのに、なぜ不良債権は減るどころか増えているのかといった点が明白になっておらず、この問題は国民経済や国民生活を直撃していなかったからである。 なぜ直撃していなかったかというと、この間、銀行の資金供給力は確かに不良債権の発生で八○年代に比べ落ちたが、それより先に民間企業の資金需要の方が落ち込んでしまったからである。
その背景には多くの企業がバランスシートの問題で資金調達どころか借金返済に回ってしまったという現実があった。 したがって、残った数少ない借り手にとって、銀行の態度は極めて良好であったのである。
つまり、人々は銀行からお金を借りるのに何の支障もきたしていなかったからこそ、いくら不良債権が新聞等で騒がれても、一般の人たちは公的資金まで使って不良債権を処理することに猛反発したのである。 実際に前掲のMを見ても、日本の借り手企業は、九三〜九七年前半までの銀行の貸し出し態度は、バブル期に匹敵するほど積極的であったと認めている。
ところが、この公的資金投入に対する反発は一九九七年一○月から始まった銀行の自己資本比率問題に起因する全国的な貸し渋りでガラリと変わった。 「日本売り」という円安と株安の同時進行が引き起こした貸し渋りが国民経済を直撃したからである。

同年一○月二七日の「N新聞』には大手二○行が一五兆円も資産を減らさなければ自己資本規制を満たせなくなると報道し、各行は貸し渋り競争とも言えるほど凄まじい資金回収に走らなければならなかった。 当時、多くの銀行支店長は半期で一○%ずつ貸し出しを削れという恐ろしい命令を受け、「残酷」極まりない資金回収を強いられたのである。
このことは国民経済を直撃し、そのショックこうして国民は、とにかく経済を直撃している貸し渋りを止めてくれということで、六○兆円対策に賛成したのだが、いざ資本投入の段階になった時に、当局が余計なことを言い出した。 金融監督庁が銀行側に、不良債権処理を含む経営改善計画の提出を厳しく求めたのである。
資本を投入する側から見れば、銀行側に経営の改善を要求するのは当然のように思われるかもしれないが、これはやりすぎると二匹の兎を同時に追うのと同じことになり、大変に大きな間違だから、あの六○兆円の本来の目的は貸し渋りを止めることであって、それは約一○兆円弱の資本投入でだいたい達成されたのである。 借り手側から見た金融機関の融資態度の調査(日銀短観)は、前掲のMを見ても、投入後の銀行の貸し出し態度は明らかにそれ以前に比べ大幅に改善している。

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